2021.2.1 16:00
外見のコンプレックスは、ささいな一言がきっかけかも ルックスで判断する先入観を捨てませんか?
電車の広告を見ていると、化粧品や脱毛など、ルックスに関する商品の広告が多いと感じませんか?それだけ多くの人が、自分のルックスを変えたいと思うほどのコンプレックスがある、という象徴かもしれません。
たとえばSNSでは「一重まぶたを二重にしたい」という投稿がよく見られます。昔から、目つきが悪いと言われる。芸能人のような、かわいらしい目元になりたい。その裏にはさまざまな理由があるようですが、見ていくと「二重まぶたの人は美しい」という風潮が強いと感じました。メディアでもぱっちりした目にするメイクが多く紹介されるなど、美しさに一つの形ができているような印象です。その形に当てまらないことで、コンプレックスを抱く人が多いのではないでしょうか。
周りの意見と自分の意識で、外見に自信がなくなっていく。他の人にとっては小さなことかもしれないから、相談もしにくく、悩みが深まることも。「人は見た目だけじゃない」とわかっていても、コンプレックスになりがちなルックス。今後どう捉えていきますか?
「こうあるべき」より大切にしたい意識とは
高校に進学したある日。駅で会った中学の同級生が、メイクによって長いまつげと二重まぶたを手に入れていました。そこではじめて「彼女は見た目を変えたかったのだ」と気づきました。制服のスカートを短くして雰囲気も変わり、ルックスを変えることで自信をもって高校生活を楽しめたのだと思います。ちなみに二重まぶたにするには、ノリをつけて線をつくるそうで、その方法にも驚きました。
二重まぶたをつくるためには、整形手術をするイメージが強い人もいるかもしれません。電車やテレビの広告になるほど、整形手術も身近なものになったのでしょう。技術の進歩や、さまざまな人の声で商品が開発されることにより、コンプレックスを隠せる時代になったのだと感じます。
「整形や濃い化粧で外見を変えるのはずるい」という意見もありますが、なりたい像に近づくことは、ありのままではなくても自分らしさを表現することではないでしょうか。気に入った服を着て気合を入れるように、ルックスの自信をとりもどすことで、本来の自分の実力が出せるようになる場合もあります。
コンプレックスを解消すること、そのままの自分を受け入れること。どちらが正しい、とは決められないと思います。大切なのは「こうあるべき」ではなく、「自分がどうありたいか」です。また、それぞれがどうありたいかを尊重するためにこそ、「こうあるべき」という意識を捨て、外見で人を判断しない風潮が大切です。
ルックスを話題にしないことで意識は変わる?
背が高くてカッコいい、小さくてかわいらしい。面と向かって、ルックスで人を批判する人は減っていると感じますが、褒め言葉として話題にすることはありますよね。しかし自分は褒めたつもりでも「私はやっぱり、背が高いと思われているのか」と、
受け取る側はルックスを気にとめられたこと自体、憂鬱かもしれません。
そもそも
ルックスが気になる原因は、誰かと比較することや、人から言われた言葉が大半です。「自分が嫌いだ」と思ってしまうほどのコンプレックスは、誰かが発したささいなひとことかもしれません。それが原因で自信を失い、自分の好きだったところにも目がいかなくなり、すべてが嫌いになる人がいたら……。ルックスについての話題は、それほどの危険があるのだと感じます。
また
ルックスで人を判断することは、先入観に捉われているためではないでしょうか。「人は見た目で判断できない」と言いますが、時間をかけて相手を見ていけば、見たままの姿より深い内面に目にいきます。仕事で努力している姿、優しさや気づかいなど、その人の評価したい部分はたくさんあるはずです。逆に
ルックスを気にかけないことで、「自分はこのままでも価値を見出してもらえるのだ」と、安心して内面を表現できるでしょう。
つい自分や誰かのルックスが気になり、話題にしてしまうのは、外見に意識が強くいっている証拠かもしれません。
人を見たままではなく、つきあっていくなかで見える姿を評価していく。そうした風潮から、ルックスに対する意識が変わっていくとよいですね。
執筆:林 幸奈
この記事のまとめ
- ルックスにコンプレックスのある人が多い
- 「ルックスはこうあるべき」という風潮がある
- 大切なのは「こうあるべき」より「自分がどうありたいか」
- コンプレックスの原因は誰かと比べたり、なにかを言われたりすること
- ルックスだけでなく、時間をかけて内面を見ていこう