2021.1.12 16:00

「政治の話はしない方がいい」と考えていませんか?
知識や発言に自信がなくても、自分なりに考えてみよう


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(執筆:林幸奈)


周囲の人と政治について話す機会はありますか? 日本では「家族や友人など、親しい人とも政治の話はしてはいけない」という暗黙のルールがありました。それもSNSの普及によって、少しずつ変わっているように感じます。

最近ではSNSなどを通じて、著名人が政治について若者へメッセージを届けています。とくに2020年は、5月には検察庁法改正について「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをつけて主張する、7月には都知事選について「投票に行こう」と呼びかける、といった動きが見られました。

以前より政治について話しやすくなってはいますが、「音楽・スポーツなどに、政治を持ち込まないでほしい」「政治に詳しくないのに意見を言って大丈夫か」という意見も見られます。それを見てあらためて 「政治について、あまり主張はしない方がいいんだ」と思う若者もいるのではないでしょうか

無関心ではいられないとわかりつつも、自分の知識に自信がなく、周囲からどう思われるかが怖くて、意見を出せない人も多いのです。著名人や身近な人の声を受けて、政治の話をタブー視せず、身近な問題にしていく心がまえを考えます。


政治は知識がある人だけが話す問題?

日本において、政治について話すのは、「意識が高い人」「知識がある人」だと思われています。

アメリカの大統領選をはじめ、海外ではアーティストや芸能人が政治について意見を述べることが多いようです。活動を起こしたり、作品で政治的主張をしたりする人も見られます。

反対の意見をもつ人から批判される場合もあるようですが、「政治について誰でも意見をする権利がある」という意識が根本にはあり、それが日本との違いではないでしょうか。そ政治とは社会がどうあるか、自分たちの生活がどうなっていくかを考えること。専門家や知識がある人だけではなく、この国で生活していく私たちが、どうしたいかを考えることが必要です

また政治の話がしにくい背景として、日本人は集団の和を乱すような、意見の対立が生じる話題を避ける傾向があります。政治的に対立したアーティストの作品に対し、不買運動が起こることは、国内外問わず見られました。

しかしSNSなどで政治について主張をする人は「自分の意見が正しい」と言いたいのではなく、「政治に関心をもってもらえるようアピールしたい」と考えているのではないでしょうか。対立やタブーの意識を捨てて、身近な人の意見として捉え、政治について自分の考えを広げていくきっかけとなればよいと感じます。

意見を出すことは対立するためではなく、反対の意見がある人も、どうしたら納得して同じ方向を向けるか、考えるきっかけにもなります。政治について違う考えをもっていても、その人の性格や人柄には関係ない、という意識でつきあっていけるとよいですね。


「政治的発言をしたくない」も権利。それでも……

「政治についての意見はあるけれど、声に出すのは勇気がいる」と考える人も多いのではないでしょうか。

主張する権利があるのと同様に、自分の主張や思想を公にしない権利もあります 。たとえば以下のことについては、就職採用の選考時に質問することが禁じられています。

本来自由であるべき事項(思想信条にかかわること)

公職選挙法では誰に投票したかを公表してはいけない、「何人も、選挙人の投票した被選挙人の氏名又は政党その他の政治団体の名称若しくは略称を陳述する義務はない」とされています。

政治についてどう考えるかは自由であり、思想を無理やり聞き出したり、人を判断する材料に使ったりしてはいけないことになっているのですしかし「意見を言わなくてもよい」とは、「考えなくてよい」ことではありません。無関係のことだと思っていると、知らないところで自分に不利な方へ、世の中が向かっていくかもしれません。

好きな芸能人が話している社会問題は気になる、街がこうなったら便利なのに、消費税が高いと感じるなど、社会に「こうしてほしい」と思うことはありませんか? きっかけは自分が気になったことで大丈夫。どうしたら社会がよりよくなるか、自分なりに考えてみませんか。


 この記事のまとめ 
  • SNSで政治的発言をする著名人はいるが、まだタブー視されている風潮がある
  • 政治とは社会がどうあるか、自分たちの生活がどうなっていくかを考えること
  • 知識に関わらず、誰もが考える必要がある
  • 主張を公にしない権利もあり、思想を人を判断する(対立する)材料にしてはいけない
  • 「無関係だ」と思わず、自分なりに考えることが大切




今回のコメンテーターからのご意見】

・安平哲太郎(やすひら・てつたろう)

 『概念分析: 未来への提言 (22世紀アート)』 の著者。元通産省職員。

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現在、国内外を問わず政治の話が必要なことが多くなってきています。私たちは政治とどう向き合ったらよいか考えなければならなくなってきています。この時、役立つのが今までどうだったか振り返ってみることだと思います。
なぜ政治の話はしないほうが良いと考えるようになったのでしょうか?
我が国ではこのことに関して戦後悲惨な経験をしています。
60年代の安保闘争、あさま山荘事件、安田講堂事件、三島事件などがありました。
政治運動は過激と分裂、対立を繰り返し、人々はそれを見て政治から離れて行ったのではないでしょうか。
何が正しいのか、正義が絡んでくるから難しいのではないでしょうか。
正義は人によって違うから対立しやすいのではないでしょうか。
現状が正義とかけ離れているとき、どうしたら良いのでしょうか?
急いで間違った動きを止めなければと思うから過激になりやすいのでしょうか。
聖書には聖書自身のことについて「義の訓練のために有益(テモテへの手紙 第二 3章16節)」とあります。
聖書は現実に求められている正義を見出すのに有益ということと思われます。
そのためには聖書をどのように読むのがよいのでしょうか?
また、「ただ、すべてのことを適切に秩序を持って行いなさい(コリント人への手紙 第一 14章40節)」とも書いてあります。
どうしてなのでしょうか?
私たちは、政治にかかわるとともにこの問題を一緒に考えてゆく必要があるのではないかと思います。
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