2020.02.13 17:00
あまり知られていない本当の真珠湾史
過去の失敗を教訓に未来へつなぐ、真実を知る研究者

写真
歴史といえば暗記科目、というイメージをもつ人が多いのではないだろうか。

暗記した歴史は、自分が生きる「今」と関連付けて考えられなければ、時間とともに忘れてしまう。

歴史の学び方はさまざまあるが、全体的な流れやひとつの出来事、どこに焦点を当てるかで見え方が大きく変わってくる。人間は無意識のうちに、自分の見えている世界にとって都合よく解釈する生き物だ。自分が情報を得るときに偏った見方をしていないか、じっくりと考えることが大切だろう。


文部科学省の学習指導要領によると、歴史の学習では以下のようなことが求められている。

“ 社会的事象の歴史的な見方・考え方を働かせ、課題を追究したり解決したりする活動を通して、広い視野に立ち、グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の形成者に必要な公民としての資質・能力の基礎を次のとおり育成することを目指す。”
<出典:文部科学省 【社会編】中学校学習指導要領(平成29年告示)解説>


ただ時代の流れをなぞることが、歴史の学習ではない。過去を知り、そこから現代の課題と向き合うことに意味がある。終戦から75年、戦後の平和な時代に生まれ育った世代が、歴史からの学びに現実感をもって未来へ伝承できるだろうか。

政治や外交の動きに危機感を抱き、今の状況を「戦前に似ている」という人がいる。危ない道を渡る歴史が、繰り返されようとしているのかもしれない。そこで、真珠湾史実研究家である白松繁さんにお話を伺い、未来の平和について考えていく。

アメリカは真珠湾攻撃を知っていた?

白松さんは真珠湾についての研究を情熱と信念をもって独自に続けてきた人だ。真珠湾攻撃について調べると、「奇襲」「だまし討ち」などの言葉が並ぶ。しかし、長年の研究で新たな解釈に辿り着いたという。


<ゲスト紹介>

白松繁。
真珠湾史実研究家。
そのとき、空母はいなかった: 検証パールハーバー』の著者。


写真


“ 歴史の探求において、事実を証明する確かな文書や現物の発見は容易ではありません。とくに陰謀や共謀が絡んでいるケースでは、その証拠集めは至難の業で、それだけに新しい発見に出会ったときの喜びは格別なものがあります。”


【真珠湾攻撃とは】
〇 発生:1941年12月8日
〇 
日本がアメリカ太平洋艦隊主力基地であるハワイの真珠湾を攻撃した
〇 当時、成功の確率はほぼゼロと言われてい

【当時のアメリカの状況】
〇 日露戦争で日本がロシアを破った1905年ころから、起こりうる日本との戦争へ対処するための計画(オレンジ計画)を作成した
〇 日本の外交暗号電報の解読に成功し、ワシントンの日本大使館員よりもはやい解読を可能にした
〇 真珠湾基地は、総兵力40,000・艦船160隻・航空機500機という監視体制だった


写真
《ハワイ》アリゾナ記念館・真珠湾《航空写真》


このような状況下で、爆弾を抱えた第一次攻撃隊183機が轟音をたて、一時間半もかけてオアフ島に接近するのに、誰も気づかなかったのだろうか。


“ 私が取り組んでいる「真珠湾史実」に関しては、米国公文書館が「FOIA」(Freedom of Information Act,情報の自由法〕に基づき、30年ごとに関連情報を公開してきました。真珠湾攻撃直前・前日・当日・真珠湾後を集積整理して判断した結果、ルーズベルト大統領は事前に察知していたとの結論に到達しました。”


直前11月26日の日米交渉で、アメリカ国務長官ハルによって日米覚書(ハルノートともいわれる、日本の中国およびインドシナからの全面撤退などを主張したもの)が提案されたのち、日本は開戦を決めている。

真珠湾攻撃の被害は凄まじいもので、アメリカ国民を一気に参戦派に転向させた。このような状況から白松さんは、「アメリカはわざと、日本に攻撃をしかけさせたのかもしれない」という説をあげ、独自に新たな真実を見つけ出した。


「推定」の先にある真実を見つける方法とは?

白松さんをはじめ歴史研究家は、多くのデータから結果を分析しているが、それらを推定にとどめてしまうケースが多いという。


“ 歴史の探求において、事実を証明する確かな文書・現物が見つかれば、誰にでも納得してもらえます。「真珠湾史実」に関しても、今までに多くの歴史家、軍人、ジャーナリスト等がいくら証拠を提示してきました。しかし、それらは推測された、間接的証拠です。多くの著述家が「だと思う」「であろう」「のはずだ」を多用し、結果「推定」に過ぎないと一蹴されてしまいます。”


白松さんは無線の通信解析や方位測定から、アメリカは日本の行動を予測できたと考えている。しかしアメリカ側の「予測した」という旨を残した直接的証拠は残っていないため、間接的証拠による推測にとどまっている。歴史研究は当然、目の前でできごとを体験していない人びとによって、なされている。

そのため「こうであった」という断定は難しく、残された資料も研究者によって、見方もさまざまだ。白松さんは、歴史の探求に大切なものを教えてくれた。


“ 事実の探求は、まず第一に地道な歴史の記録(含証言)/データの収集と解析が基本となります。その過程で見つかる矛盾や不合理性(含虚偽)に対し、合理的な解釈ができるまで追及を続けることが重要です。”

 
データの収集・解析の大切さは、研究者だけに言えることではない。歴史を学ぶ私たちも、なんとなく流れをつかむだけではなく、自分の納得のいく意見が見つかるまでさまざまな視点に立ち、自分の中に残る学びにしよう。

 

平和しか知らない世代が失敗を教訓にする大切さ

白松さんはアメリカを責めたり、日本の歴史に悲観をしているわけではない。歴史はなにかを失ったあとで、新しい時代を構成してきた。


“ 日本は徳川幕府の滅亡後、明治新政府によって、アジア最強国として国際連盟の常任理事国となりました。それから軍国主義の国になりましたが、アメリカとの確執が強まり、真珠湾攻撃という驚きの行動に出たのです。

壮絶な戦いの末、日本は無条件降伏しましたが、それから争いのない戦後75年を過ごしています。”


今を生きている人たちのほとんどが、平和な日本しか知らない。日本は戦争ですべてを失い、平和を誓った過去がある。戦争は遠い過去の出来事だと思っている人が多い。

しかし過去に起きた事実を受け止め学習し、自分の意見を持たなければ、ふたたび時代の流れに押されて、平和が壊れてしまう恐れがある。


“ 日本は今も、アメリカに強く物申すのが難しく、いつ戦争に巻きこまれるかと懸念されます。だからこそ、日米関係を対等に持っていくことが重要です。真珠湾攻撃は、軍事的な成果は得られなかった、と言われています。

いまだなされていない戦争の全体的な反省・総括は、もっとしっかりすべきなのです。歴史の学習とは過去の失敗を教訓として、しっかりと現代へ生かし、未来に繫げることなのです。”


過去の人々がつくりあげた平和な日本を守ること、それが今を生きる私たちの義務だ。情報を集め、自由に考え討論ができるのも、平和な世の中があってこそできること。

全体の流れやできごとだけでなく、未来をつくるためになにができるか、自分はどうしたいのかを考えて学ぶ必要がある。

この記事のまとめ 

✔︎ 流れやできごとを知るだけが、歴史の学習ではない。平和で民主的な世界に生きるため、過去から学ぼう。

✔︎ 
歴史研究は、間接的証拠による「推測」になってしまいがち。データの解析と収集をしっかりと行い、納得がいくまで追求することが大切。

✔︎ 歴史の学習とは、過去の失敗を教訓として、現代へ生かすこと。平和な日本をつくってきた、過去の人びとの思いを忘れず、自分の意見を持って行動しよう。


(執筆:佐藤志乃・林幸奈)