●マナーポリスを恐れる若者たち【後編】

自信家でなにが悪い?
謙遜と無礼は紙一重、
過度な謙遜は自分と相手の価値を下げる!


ネット社会で育ってきた若者たちは、他人からの批判を避けるため、極端に謙遜する気質があります。例えば、学校で「テスト勉強した?」と聞かれれば、前日必死に勉強していたとしても「あんまりやってない」とテンプレートのように答えます。

他にも、人から褒められたときに、「そんなことないよ」と自己否定的に答える人が多いです。素直に答えると、「自慢している」などと陰口を言われてしまう場合があり、人づきあいの窮屈さを感じます。  

|保身のための謙遜

佐藤。

SOCIO編集長。

佐藤|
昔から続いてきている謙遜の美学は、今の時代に本当に必要なのでしょうか?嵯峨御流生花教授で元山口刑務所教誨師(きょうかいし)の小川惠真さんにお聞きします。

小川 惠眞(おがわ・えしん)。

嵯峨御流生花教授、山口刑務所教誨師。

いのちを生きる』の著者。

小川|
まず、謙遜は美学などではありません。自分のプライドを護るための言い訳であって、自己の保身術のひとつです。私の師の「謙遜は怠惰のはじまり」という言葉がありますが、これは私自身が肝に銘じている言葉でもあります。

会合などで指名されると、「私のようなつまらないものが……」などの前置きをする人がいます。へりくだった言い方に謙虚な印象を受けてなんだかよさそうな気がしますが、相手を立てているというより、自己防衛の意識が強い発言にすぎません。失敗をしたときの予防線でありましょうか。

佐藤|
謙遜は自分の恥ずかしい部分を隠し、周りへよく見せようとする方法のひとつなのかもしれませんね。「うまくできるかわからないけどやってみます」というニュアンスは、自分を実力以上に見せてくれる可能性を含んでいます。
|過度な謙遜は自信のなさの裏返し

佐藤|
ですが、それは取り繕った姿でしかなく、自分や自分と接している相手の価値も下げることになります。小川さんが謙遜する必要がないという考えに至るきっかけはあったのでしょうか?
小川|
私がまだ若くて未熟だったときの失敗がきっかけです。私は浄土真宗の僧侶ですので、御門徒の仏事に出ます。ある庭作りの名人(庭師)の家へ仏事で訪問したときの出来事です。
仏事では年配の方が多く、若いのはお坊さんぐらいです。話しのなかでつい口をついて出たのが、「私のようなつまらないものが……」という言葉でした。すると、老齢の主人に「つまらん坊さんに布施はやらん」と、すかさず一喝されてしまいました。「シマッタ……」と思いましたが、時すでに遅し。
つまらんお坊さんではダメなんです。立派なお坊さんでなければダメなんです。威張れというのではありません。逃げをうたない。言い訳をしない。自分の仕事に自信を持っていれば、謙遜は必要ありません。私の書籍「いのちを生きる」、「有聲無涙抄(うしょうむるいしょう): いのちを生きる」をご覧になってみてください。心の置き場がきまります。
佐藤|
自信を言葉や態度で示せる人は魅力的です。特に仕事の場合はお金を頂くのだから、相手が実力のある人に頼みたいと思うのは自然です。謙遜ではなく誠実な自信を見せることが相手のためになります。プロとしての自覚を持つために、謙遜は必要ないということですね。取り繕わず、等身大の自分を成長させていくと社会で活躍できる人間になれるのだと思わされました。

謙遜が必要ないとなると、自信を持てるようになるまでの過程で、未熟な自分を受け入れなければなりません。それはプライドが高い人ほど難しいことです。つぎに、ありのままの自分の受け入れ方を考えていきます。

|自己評価を高めて謙遜癖をやめる

佐藤|
深く考えずに謙遜してしまう人は、無意識で自分とだれかをくらべてしまっていると言えます。そういう視点で日常を送る癖が染みついているとしたら、その原因は自分を認められない(=自己評価が低い)ことが考えられます。どうしたら無理をせず、自己評価を高められるのでしょうか?詩人の峰岸順子さんにお聞きします。

峰岸順子(みねぎし・よりこ)。

詩人。

夢船 』の著者。

峰岸|
自分の内側の世界を広げることです。広くて深い海のような世界です。一人ひとり持っているものが違うので、自分をだれかと同じ基準で評価することは難しいです。だから、社会
のルールやマナーに固執しすぎる必要はありません。
人とくらべられることに疲れてしまったのなら、一旦立ち止まり、自分が好きなものはなんだったか考えてみてください。そして、好きなことにどっぷり浸り、美しいものへの見識を深めてみましょう。
内側の世界と言っても、外の世界からの刺激が欠かせないことを忘れてはなりません。そうして自分の内側の世界をつくっていくと、自分という存在の輪郭がはっきりします。自分と他人をくらべることから離れられて、少し楽になるはずです。
佐藤|
学校や会社など集団のなかにいると、自分と人をくらべることが癖になってしまっていることがあります。なぜかというと、自分の社会的な位置が、テストや受験、給与など数字をともなう結果としてはっきり表れるからです。このような環境に慣れてしまっていると、世の中の声に支配されすぎてしまいます。
他人がいる位置の質は、外からはまったくわかりません。ずっと上位層にいられれば自信が持てるのでしょうが、そんな人はごくわずかで、いつまでも自分にどんな価値があるのかわからないままになってしまいます。これが原因でコンプレックスを強く感じるようになり、自己防衛的な謙遜をする人が多いのではないかと考えます。
峰岸|
どんな人にも、必ずその人にしかない価値があります。自分が生きている時代のいいことも悪いこともしっかり見つめ、自分の心で感じたことを信じてください。信じることの繰り返しであるがままの自分を受け入れることができるようになり、自己評価が高まります。
その先で、他人のことも受け入れられるようになっていくでしょう。心が苦しくなることもあるかもしれませんが、痛みを知ることは大切なことです。
佐藤|
前後編を通して3人の方にお話を聞いてきました。マナーや礼儀を重んじる日本ですが、その本質を理解して行動している人はどのくらいいるのでしょうか。「だれかが言っているから、とりあえず自分も謙遜しておこう」という考えの人がいるとしたら、不必要なマナーがなくなることはないでしょう。
人とのコミュニケーションで自分を下げることを繰り返し、いつのまにか自分の価値が本当に低いと思い込んでしまいます。マナーとかルールがあると自分で考えなくても済むので楽ですが、従うだけの人に明るい未来があるとは思えません。すでに刷り込まれている「右にならえ」の精神を捨てて、自分自身で未来をつくっていきたいですね。

この記事のポイント

●謙遜は自分のためでしかない。自信を行動や態度で示すことの方が大切。

●人とくらべて評価しない。好きなものや感性を深めて、自己評価を高めよう。