●マナーポリスを恐れる若者たち【前編】

自信家でなにが悪い?謙遜と無礼は紙一重、過度な謙遜は自分と相手の価値を下げる!


SNS上でだれかのマナーに対する指摘や説教をよく目にするようになりました。特に芸能人の投稿へのコメントはこういったもので溢れています。他人のマナーに厳しすぎる「マナーポリス」たちは、道徳観よりも拡散や叩きの恐怖を植え付けているかもしれません。

3人の方にお話を聞きながら、マナー観について考えていきます。

|日本人のどこが礼儀正しいの?

佐藤。

SOCIO編集長。

佐藤|
そもそも、日本はマナーやルールを気にする人が多いです。日本人は世界的に見て礼儀正しいと言われていますが、それは本当なのでしょうか?
浄土宗 西楽寺住職の滝川秀行さんにお聞きします。

滝川秀行(たきがわ・ひでゆき)。

浄土宗西楽寺住職。

夢幻泡影: 愛する妻と過ごした最期の90日 』の著者。

 

滝川|
礼儀正しさとは国ではなく個人による違いだと思っています。ただ、大相撲の力士やオリンピックの柔道選手を見ると、日本人と外国人に礼儀の差がありそうです。礼儀の「正しさ」は各国によって基準が異なりますが、お辞儀の深さや勝敗が決したときの態度から考えると、日本が礼儀を重んじていることは間違いありません。
スポーツとしての競技性よりも、礼節など武道としての精神性を重視する傾向にあり、それがあるからこそ伝統文化と言えます。柔道と相撲の2つに共通していることは、日本では負けたときに「参った」という言葉を用いることです。
そもそも、「参る」というのは敬いの対象に近づいていくことですが、日本人は勝負の決着と同時に相手に尊敬の念を抱いています。その気持ちを「参った」に込めているではないでしょうか。そうだとすれば、日本人は独特の礼儀正しさを持っています。
佐藤|
日本人が礼儀を重んじている理由がわかりました。相手ありきなんですね。日本における礼儀とは、基本的に相手を敬いましょうという趣旨のものがほとんどです。よりよい人づきあいで社会と円滑につながるために必要な考えだと言えます。
|人の意見を聞く耳は持っても、揚げ足取りを真に受けるな

佐藤|
しかし、一方で礼儀を盾にして自分を満足させようとする人たちがいるのも事実です。相手を攻撃して自分のストレス発散をする人、実生活の不安からマウンティングする人など、ゆがんだ理由で主張される礼儀やマナーに本来の価値はありません。形骸化した礼儀に固執せず、行動の必要性を自分で考えることが大切です。

内容や自分の状況によって、その必要性に気づくまで時間がかかることがあります。滝川さんは、若いころにはわからなかったけれど、大人になってから相手が言っていることの本質がわかったという経験はありますか?

滝川|
私がまだ20才前だったころの話です。あるおじさんが私に「カタカナの『ト』の字に『一』の引きようで『上』になったり『下』になったりする」ということを言ってきました。これは、漢字の「上」という字と「下」という字を構成している「一」の字が自分、カタカナの「ト」の字が人(相手)ということです。
相手に対して下手(したて)に出た場合は、そこに上という字が現れ、高飛車に出ていった場合は、そこに下という字が現れるのだということを言い表した例えです。

自分の理屈を相手に押しつけ、人の考えを抑え込もうとしていた私に対する忠告でした。「なにを知的でもない語呂合わせをドヤ顔で言うのだ!」とおじさんに反発心を覚えましたが、現在70才の私は、「確かにその通りだな」と苦笑いをしてそのことを今でも思い出します。

佐藤|
そのおじさんは人づきあいの教訓を教えたかったんですね。うまいこと言っている感じが若いころは鼻についたのかもしれませんが、言っている内容をよくよく考えてみると、「相手を敬い、自分勝手な行動を改めなさい」ということが伝えたかったのだとわかります。

人の助言から気づきを得て、素直に教訓にすることで今の滝川さんがつくられているのですね。

世の中には、人を敬う気持ちを表面だけ取り繕い、すべてを理解したつもりになっている人もいます。そのような人は必要以上に下手(したて)に出て、卑下するようなことを言い、相手を立てたつもりになっています。それを謙遜と言い、大人な振る舞いのマナーとして一般に認識されていることに違和感があります。

つぎに、【後編】で謙遜とはなにか、その必要性の有無について考えていきます。

この記事のポイント

●礼儀とは人を敬う心。よりよい人づきあいや社会と円滑につながるために必要なこと。

●世間の形式的な礼儀にとらわれる必要はないが、本質を自分で考えて行動しよう。